前回に続き、身体能力としてより分かりやすい症状に
よって引き起こされたエラーについてです。
●人間の動物的本能と能力限界から発生するもの
(2:空間識失調と低酸素症による事故)
【実際の事例】
※空間識失調によるもの
ガルフ・エアー072便墜落事故
USエアー1016便墜落事故
ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故
※低酸素症によるもの
ヘリオス航空522便墜落事故
日本航空123便墜落事故
まず本題に入る前に、FAA(米連邦航空局)が自家用
として認可している、いわゆるPrivate Pilotの学科試験
のFitness for Flightと呼ばれるパートで挙げられてい
る、パイロットのエラーにつながる身体症状をご紹介し
ます。
◆Hypoxia(低酸素症)
呼吸量の増加やめまい、頭痛、冷や汗、爪や
唇の紫色化、視野狭窄、眠気、幸福感、意識
の喪失
【対処法】
降下するか、補助酸素を使う。
◆Hyper ventilation(過呼吸)
飛行条件の悪化等による感情(高ぶりや不安、
恐怖)などによって引き起こされ、高高度を飛
行する際に使用する補助酸素を使う場合にも
なり易い。めまいや足・指先の痺れ、寒気や
眠気、心拍数の増加や意識の喪失が主な症
状となる。
【対処法】
ゆっくり呼吸する
大声で話す
袋を口元に当てて呼吸する
◆Carbon monoxide(一酸化炭素中毒)
低酸素症の一種で、ヒーターの故障などでコ
クピット内に入り込んだ一酸化炭素が血液中
のヘモグロビンと結びついてしまい、酸素の
取り込みを阻害してしまう。症状には低酸素
症にみられるものに加えて筋力の低下が挙
げられる。単なる低酸素症と異なり、高度を
下げるなどの措置を行っても即座に回復しな
い為、よりやっかいなものとなる。
【対処法】
ヒータースイッチを切る
換気口を開ける
◆Spatial Disorientation(空間識失調)
ニュース等で言われる"バーティゴ"という言葉
と同義で、パイロットが平衝感覚を失って機体
がどのような状態になっているか正確に把握
する事ができなくなってしまう。
ちょっと古いですが、手元にあるTEST PREP P
RIVATE PILOT 08では、5-21(この問題集は、
パートごとにページ数が区切られています)に
問題3851として下記の様な記述があります。
"A state of temporary confusion resulting
from misleading information being sent to
the brain by various sensory organs is de
fined as"
(各感覚器官から脳へ誤った情報が送られた
結果として引き起こされる一時的な混乱状態
はどのように定義されているか)
当然ながら、回答は"Spatial Disorientation"
と
なります。
【対処法】
計器の指示を信頼する
ちなみに、"vertigo"という言葉を含みつつ全く異なる
症状を指し示す用語として、"Flicker vertigo(フリッカ
ーバーティゴ)"と呼ばれるものがあります。
こちらは日中にプロペラ機で太陽に向かって飛んでい
る時、ちょうど古い映写機の様な具合で目の前がチラ
チラする状態が続くことによって発生する、けいれんや
ひきつけ、吐き気や意識障害の事です。
子供達がテレビアニメを観ていて病院に担ぎ込まれた
いわゆる「ポケモン事件」と呼ばれた状態が飛行中に
起こるものと言えば分かりやすいでしょうか。だから座
学では、「太陽に向かって飛んではダメ!」と教わって
ましたね。
さて、ここからが本題となります。
ガルフ・エアー、USエアー、ニュージーランド航空の例
はそれぞれ空間識失調に起因する事故で、こうした原
因として、一般的に視程が悪い状態や夜間での飛行、
地上の目標物などが参照できない海上での飛行中に
空と水平線の境を見失ったりすることが良く言われま
すが、著者は「地球の表面に対し、自分の位置を正し
く認識することができない状態」と定義しています。
また、下記の説明はコクピットにおける視点・感覚を
とても簡潔かつ明瞭に述べています。
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パイロットは重力の方向が変わったために
起こる前後方向の重力成分と、飛行機の加
速との区別がつかない弱点を持っており、
飛行計器への注意を怠ると誰でもがこの
ような状態に陥るのである。
第一部 パイロットのヒューマン・エラー
(P.49)より
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要するに、目隠し状態で歩けば壁や置いてある物へ
体をぶつけたり転ぶようなことになりますが、これに
宙吊り状態が加わるようなもので、その恐ろしさは
言うまでもありません。
さらに、ニュージーランド航空による事故では「ホワイ
トアウト現象」と呼ばれる現象が空間識失調を引き起
こしたことについても触れており、著者はこの発生メ
カニズムや影響についても詳しく説明しています。
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まず雲を透過してきた光の大部分が雪面で
反射され、この反射光がまた雲の下面で反
射されるというプロセスが繰り返される。
この反射、伝播の過程で、光は小さな水滴
を透過し、あるいはアイスクリスタルを透過
し、雪面の氷晶であらゆる方向に反射され、
ほぼ完全な散乱光となり、白い影を生じな
い明かりとなる。
こうしてホワイトアウトが発生すると、パイ
ロットにとってはまず地平線の感覚が失
われる。高度の判定ができないので、着
陸時には高すぎるところでフレアー(引き
起こし)を開始して失速するか、あるいは
地面に向かって突入することになる。
離陸時は、たとえば樹木などを参考にし
て地平線をつかんでいるが、上昇後、旋
回を始めてその視界にあった参考物体が
視界外に出てしまうと、とたんに高度知覚
が失われ、方向感覚も狂ってしまうことに
なる。
第一部 パイロットのヒューマン・エラー
(P.55-56)より
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また、空間識失調への対策として、次の3つが提言
されています。
①計器に比重を置いて操縦する
夜間や計器飛行を行うような気象状態の時は、
信頼に足る航空機の姿勢に関する情報は計器
によって得られることを基本ポリシーとして外界
より計器に重きを置いた操縦をすること
②最低安全高度以下には降下しない
ホワイトアウトの危険性があるときは、当該地
域の最低安全高度(チャートと呼ばれる航空
用地図に書いてある)以下に降下せず、電波
高度計などの計器を中心に操縦すること
③任務の分担を決めておく
一人が外界を見ているときは、もう片方のパ
イロットは必ず計器をモニターするよう任務の
分担を取り決めておき、航空機が異常な姿勢
になったときにはすぐに操縦を交代できるよう
にしておくこと
低酸素症によるものとしては、ヘリオス航空や日航の
例が挙げられていますが、何より怖いのは、緩やかに
酸素が失われていった場合にその状態が自覚できな
いまま危険な状態に陥ること。
書籍の中では、ヘリオス航空の例は空調システムの
トラブルによる気圧と酸素量の減少によってパイロット
が意識を失ったと見るのが妥当とされています。
また、パイロットは急減圧に対する訓練は行っているも
のの、知らぬ間にゆっくりと減圧が進行した際のトラブ
ルを想定した訓練が行われていなかったり、客席では
減圧が発生すると酸素マスクが自動的に飛び出してく
るのにコクピットではそれが行われないことにも触れて
います。
そして日航機の例では、訓練で想定されていない緩慢
な減圧状態だったために、客席で酸素マスクが出てい
るにも関わらずパイロットは最後までマスクを装着せず、
失神せずとも操縦に重大な影響を及ぼしたという、前回
触れたRTOの訓練における問題と同様、訓練で想定し
ている対応範囲の狭さゆえに生じる"例外への脆弱さ"
が表出した状態が書かれており、適切な訓練さえ行わ
れていれば乗員乗客が助かったかもしれない可能性に
思いを至らせると、犠牲者の無念さは察するに余りある
ものがあります。
低酸素症対策としての提言は次の5つです。
①急減圧に対する訓練以外に、緩やかな減圧
への訓練を追加し対処法を身に付ける
②減圧を速やかに知らせる警報装置の改善
③少しでも減圧の兆候が出たら酸素マスクを
着用する操作手順の確立
④客席での酸素マスクの自動落下に合わせて
操縦席でも同様となるシステムへの改修
⑤パイロットが乗客より先に意識を失うこと
がないように、メーカーがシステムの設計
変更を行うこと(その責任があること)
特に、実際の運航における安全性を損ねる状態を改善
するメーカーの責任については飛行機に限らず、あらゆ
る機械に通じるものと思います。
■関連リンク
空間識失調 - Wikipedia
財団法人航空医学研究センター
ホワイトアウト - Wikipedia
電波高度計 - Wikipedia
2011-11-07
生理的脆弱性によって引き起こされた墜落事故の事例
2011-11-02
トラブルを抱えて離陸上昇できない事例
今回から、パイロットのヒューマン・エラーとして3つ
に分類されている各カテゴリーの中で、最初に取
り上げられているものを2回に分けてご紹介します。
●人間の動物的本能と能力限界から発生するもの
(1:トラブルを抱えて離陸上昇できない)
【実際の事例】
福岡空港ガルーダ航空機離陸事故
トランスワールド航空843便大破事故
飛行機が離陸する際、当然ながら重力に打ち勝っ
て機体を浮揚させるため、滑走路をどんどん加速し
ながら走行します。
この時に何らかのトラブルが発生した場合に離陸
を継続するか、それとも中止するか(RTO:Reject
Take Off)の決断を行う際、重要な指標となる速
度があって、"V1(ブイワン)"と呼ばれています。
しかし、この用語を訳した日本語に問題があるた
め、解釈に誤解が生じているのだそうです。
具体的には、「離陸決心速度」と訳されてしまって
いるため、離陸継続(GO)か中止(RTO)の決断を
「瞬時に」行う速度といった誤解が蔓延していると
の事。
じゃあ、正しいV1の定義って何?ということになり
ますが、かいつまんでしまうと「パイロットが最初
に減速動作を開始する速度」。
つまり決断ではなく、減速を「開始」していなければ
ならない時点なのですが、実際にはV1を超えてか
らRTOに入ってしまうために滑走路をオーバーラン
し、事故に至るというのです。
では、V1の時点で減速していなければならないに
もかかわらず事故に至るのは何故かという疑問に
ついてはこう解説しています。
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結論からいうと、人間はもともと地に足を置く動物で
あり、トラブルを抱えながら重力に反してまで空に向
かうことは本能に反する行為であり、仮に離陸滑走
中にトラブルが発生したら、地上でトラブルを解消し
ようとするのである。
第一部 パイロットのヒューマン・エラー
(P.31)より
------------------------------------------------------------
確かに、地面から浮き上がろう、または浮き上がっ
た状態で何らかのトラブルが起きたとしたら、その
まま離陸するのは「落ちたら終わり」といった相当
な恐怖を伴うと思います。
しかし興味深いことに、ボーイング社の実験では、
離陸中のエンジン故障で機長が離陸を継続した
場合に墜落や事故に至ったケースが皆無であり、
かつ西側諸国で製造されたジェット輸送機で199
0年までの30年間でRTOによって発生した74件の
事故やインシデント(異常運航)の中で、離陸を継
続して事故になった例も同じく皆無。
ところが、航空会社ではエンジン故障を想定した訓
練以外は行っておらず、なぜならパイロットがライセ
ンスを取得したり定期訓練を行う際に航空局が求め
る資格要件はエンジン故障のみだから。
このためか、ボーイング社が自社の機長24人と航空
会社の機長24人(合計:48人)を対象に1991年4月
に行った、B737型機のシミュレータによる実験結果
では、3分の1がタイヤ破裂による振動だけでRTOを
行い、滑走路上で停止できたのはわずか3名。しか
もオーバーランまでギリギリの状態で停止となって
います。
しかも、航空会社のマニュアルでは「いったん離陸
滑走を開始した後、マスターウォーニングライトの点
灯という単一の原因からRTOすることは勧められな
い」と定めているにもかかわらず、RTOしたケースも
あったとのこと。
マスターウォーニングライトとは、コクピットの見易
い所に配置されたもので、多くの警告灯のうち一
つでも作動した場合に点灯し、パイロットはこれに
よってどの警告灯が作動したかを確認⇒適宜対応
を行うという、いわば警告の見落としを防ぐために
設けられたものです(ちなみに、クルマにもマスタ
ーウォーニングはあります)。
先ほどの"離陸を継続した場合に墜落や事故に至
ったケースが皆無"という事例を照らし合わせると、
用語の誤解が蔓延した上に、既存の訓練体系を
こなすだけでは、トラブル発生時にリスキーな行動
を本能的に取ってしまい易い事が良く分かります。
そこで著者は、離陸中の事故を防ぐ具体策として
次の3つを提言しています。
①人間の本能に打ち勝って離陸継続の強い意志を
持てるよう、「ゴー・マインド(GO MIND)」のポリ
シーを確立する。
②ヒューマン・エラーの原因である「瞬時の決断」
をやめる。
V1の正しい理解を再教育し、確実にV1の時点
でRTOが始まるように余裕を持って決断を行う
手順を再確認する。
③シミュレーター訓練の改善
V1のかなり手前でもGO(離陸)する訓練を新た
に導入し、RTOよりもGOする訓練の比率を増
やす。
離陸中のトラブルもエンジン故障だけでなく、
失速警報の作動やタイヤのパンク、各種警報
ランプの点灯を含めて実際の運航に近づける
ようプログラムを改善する。
●ハリーアップ・リターン症候群
これは著者による造語で、一刻も早く空港に戻ろ
うとする、トラブルを抱えたまま離陸できない問題
と並んだパイロット固有の「悲しい性」と称されて
いるものです。
どちらも、地上に足をつけておきたい本能に起因
する点で互いに共通するものに思えます。
具体的な事例として、シミュレータによる緊急事態
の定期訓練や審査で、着陸滑走距離に余裕が無
くてもパイロットの技能をチェックするための規定内
に収まっていれば良しとしてしまうために、離陸直
後や上昇中に大きなトラブルに見舞われた際、クル
ーとのディスカッションや地上のアシスト、余裕を持
って着陸できる代替空港の選択などの解決策を採
らず、とにかく早く出発した空港に戻ろうと訓練通り
の行動をとってしまい、あわやオーバーランといった
危険に至った例を挙げています。
提言されている解決策は以下2つです。
①機内火災の場合以外では急いで元の空港に
戻らないで、とりあえず飛び続けながら最善の
方策をゆっくり時間をかけて考えること。
航空会社はこのようなポリシーを確立すること。
②シミュレータと実機の違いを事ある毎に理解
させる教育を行うこと
いずれも用語の誤解や訓練内容と現実の乖離とい
った前提に本能的な反応が結びつく事によって発
生するエラーであり、これらの前提を改善する事に
よって本能を克服しようということになります。
もしかすると、今では著者の提言が航空界に受け
入れられて訓練内容も変わっているかもしれませ
んし、そう願いたいですね。
■関連リンク
離陸決心速度 - Wikipedia
27.離陸速度
空の旅
機長が唱える呪文
サンデー毎日の記